真面目に嬉しかったの。

「ふるさとのなまりなつかし 停車場の人ごみの中にそを聞きに行く」は石川啄木の有名な歌だけど、神奈川出身で「お国言葉」に無縁だった私にはどうしても共感しにくい歌でもあった。頭ではわかるけど、自分の中に似たような経験とか感情を見つけられない感じ。


成人してから岩手に数年間住み、その後今の県に移り住んでしばらくして、ようやくこの歌に共感めいた感情を持てるようになった。新幹線に乗り合わせた人たちの会話の中から、岩手の言葉がはっきりと耳に飛び込んでくるようになったんである。秋田でも青森でもなく、耳が拾い上げるのは、はっきりと岩手。同時に感じたのは「あぁ、岩手に帰りたい」という、なんとも切ない気持ち。岩手は生まれ育ったところではないけれど、ホントに大好きなところだったので、第二のふるさとのように感じていたからだろう。


だけど先日、もっとずっとはっきりと「ふるさとの言葉」を感じる瞬間があった。


それは、テレビでお年寄りがしゃべっていた標準語。よぼよぼしわしわのジィちゃんバァちゃんがよどみなく標準語をしゃべっているのを聞いて、「これぞふるさとの言葉じゃないか!」と稲妻に打たれた思いがした(大げさ)。そういや実家の祖母(90歳)もこんな風にしゃべってる。神奈川にいた頃はそれが当たり前で何とも思っていなかったけれど、東北に来てからはお年寄りが標準語を話しているのは聞いたことがないよ。うわー、なんだかバァちゃんを思い出すよ。元気かなぁ、さすがに弱ってんだろうなぁ。あはは、何だかオトシヨリがいっぱしのアナウンサーに見えてくるじゃないか。


標準語しか話せない自分はどことなく損している気がしていたんだけれど、これがまぎれもなく自分の「お国言葉なんだ」と気づかされて、ちょっと泣きそうになる位に嬉しい発見だった。