すべきことがあるのよ

子供の頃、「ドリトル先生と秘密の湖」が大好きだった。
ご存知の方も多いと思うけれど、ノアの洪水に生き残った巨大な亀「ドロンコ」が語る、大昔の世界の雄大な物語である。


とても好きで何回も読んだけれど、ドロンコの語りの冒頭部分、古代の文明が滅ぶ直前の様子に、幼い私のアイデンティティを根底から覆す、衝撃的な描写があった(大げさ)。

引用すると

私の思うに、本があまりにありすぎるという感じでした。誰も彼も、のらりくらりとするか、本を読むかして暮らしていました。その上、もっと悪いことには、本を読んでいない人がいるとすれば、その人は本を書いているのでした。誰も彼も、自分こそ本を書かねばと信じているようでした。(※太字は傍点。)

ドリトル先生と秘密の湖 下 ヒュー・ロフティング作 井伏鱒二訳 岩波少年文庫

というのである・・・別にたいしたことないですか。


ま、私からすると「えー!!本を読むことは良いことで、本を書ける人は偉い人なんじゃなかったの??」という事で、それまで正しいと信じていたことが実は軽侮に値する行為だったんだ、と、えらくショックを受けたのです。浅はかなガキですね。


で、結局このくだりを私がどのように理解したかというと、

  • 私も堕落するとくっだらない本をそうとは思わず出版しちゃうような大人になって世界が滅びるかもしれない

という、これまた救いようのない結論だった。この縛りは成人してからも消えなかった。*1


……ん?
本ではないけどパブリックなメディアで文字列アップデートしまくってる私。そうか、これが世紀末か。


子供の頃から行動指針としてきた事に反する行動を今とっているわけだけれども、所詮私の考える「こうあるべき自分」なんて貫けたたためしがない*2わけで、ほんとのところ今でもよく決着がつけられていないんだけれども、とりあえず、ま、掃除しなきゃならないので勘弁してください。

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上記の趣旨は、自分が発信する側に回るまでの葛藤を言い訳したいという点にあり、先輩ブロガー諸兄諸姉を非難するものではありません。どうか皆様怒らないでください。

*1:1週間前に消えました。

*2:携帯電話なんていらねー、犬は1頭で十分だし服着せるなんてありえねー、酒は盆暮れ正月だけで十分等、枚挙にいとまがない。真逆な自分が今ここにいます。